セラピスト取材メディア『THERA-FIL』は、平均寿命ではなく健康寿命を延ばすために、病院以外で本当の健康を届けるために活躍しているセラピスト(Therapist)を1つの記事(Film)として取り上げています。
片麻痺の松川さんが言語聴覚士となり、障がい者の就労支援などさまざまな事業を展開するまでにどのようなストーリーがあったのでしょうか?
松川さんのFilmを覗いてみましょう。
目次
松川さんが言語聴覚士になろうと思ったきっかけを教えてください!
たくさんの医療従事者の方々に救われたからです!
私は14歳のときに脳内出血を発症して、片麻痺になってしまいました。入院中はリハビリの方やそのほか多くの医療に従事している方々に救われたなと思っています。
それまで当たり前にできていたことができなくなってしまい、どうやって生きていこうかなと考えたんです。
私も将来こういう人になりたいなという想いがあったんですが、同時にもちろん完全回復を目指していたんですが、そうはならないだろうなという感覚がありました。
そう思ったときに自分に何が出来るんだろうと考え、15歳のときに言語聴覚士だったらなれるかもしれないという答えにたどり着き、言語聴覚士を目指しました。
臨床に出てみてどうでしたか?
患者さまの立場での大変さと言語聴覚士としての大変さを感じました!
21歳で言語聴覚士の資格を取得して、総合病院に勤めました。私自身が患者としての経験があったので、言語聴覚士の質問や検査に答えるのは大変だよなあと感じましたね。
セラピストとしては、片麻痺があり移乗などのトランスのサポートができませんでした。ほかにも左手で物を渡して右手でストップウォッチを押すなど、普通のセラピストだったらできることができなかったんです。
セラピストとして周囲よりも工夫が必要でしたね。検査するときの事前準備はもちろん、イメトレなどもおこなっていたんですよ。ストップウォッチの計測も先にスタートさせてその何秒後かに始めるなど言語聴覚士としての大変さも感じました。
その後、22歳で就労支援の企業に転職しました。実は18歳の頃から将来は障がい者の方の職探しをサポートできる企業を創りたいと思っていました。その夢を叶えるために言語聴覚士になり、その後ハローワークで仕事の勉強をして独立すると決めていたんです。
医療はもちろん素敵な職業だと思ってるんですが、リハビリをいくら頑張っても復職できない方がいるという現状や医療の限界を感じて。かといってそれを諦めるのも違うなと。そういった方々を救いたいという想いも強かったので、就労支援の企業に転職しました。
松川さんが現在の活動を始めるきっかけはなんですか?
いろいろなことが重なりましたね!
元々、就労支援に転職を決めたときからいろいろなことをおこなっていました。コミュニティを自分で作っていたし、同じように障がいを持っている方を取材するメディアも運営していたんです。医療に携わってるときからプログラミングスクールに入っていて、自分でサイトを立ち上げて失敗したりもしましたね。
就労支援の企業を創りたいという想いをもって企業に転職し、そのタイミングで非営利団体の役員になっていたんです。プロジェクトのマネージャーもおこなっていて。
企業に転職したのが4月で、12月にオンラインでイベントやった際に100人ほど集まったんですよね。そのときに会社で上手くいったことといかなかったことがあって。
正直1か月くらいメンタルが沈んでしまって、夜中の3時から朝の6時くらいまで涙が止まらないときがあったんです。そのときに何があっても自分の責任で生きていくと決心して、その翌日に退職することを告げました。
それからいざ起業するとなったときに、今ではスタートアップなどのワードが情報として世に出ていますが、同世代が集まる起業家のシェアハウスに行って話を聞いたんですが、当時の私は何も知らなかったんですよね。
それから投資家の方々と話すなかで、就労支援の事業を立ち上げるのに2,000万円必要だとわかって。22歳の若造がそんなのできるわけないじゃないですか(笑)それでどうしようと考えたときに、今までの視点って逆だよなと思ったんですね。
何かというと、最初は良い人材や医療従事者を採用するみたいな視点でした。それが逆で、こっちから行けばいいじゃんと考えたんです。オンラインで私たちが医療に結びつくことで、医療従事者を採用する必要はないし、より多くの方の学びにもなると。
その構想が頭に形としてできてからは、一年ほどヒアリングをおこない、オンラインの就労支援の形を創りました。
同時に進めていたクラウドファンディングで350万円の支援をいただき、メディア制作やAOiという旅行支援事業を啓発するイベント企画を創ったり、オンラインスクールを創ったりという流れですね。
私たちはオンラインでおこなうので、福祉の制度に縛られなくて良いんですよね。オンラインで就労支援をおこなっているので、1人で30人ほど見れて、その分多くの方へサービスを届けられます。
また、オンラインだとコンテンツをブラッシュアップし続けられると思って、オンラインの就労支援事業をおこなっています。
松川さんの事業への想いを教えてください!
障がいを持った方の選択肢で在りたいです!
14歳のときに片麻痺になり、障がいを抱えてしまって、障がいを持った方の年収を調べたときにすごく低かったんですよね。14歳の当時でもこれがどんな意味を表しているのか理解していました。
私自身就職するまでバイトをしたことがないし、できないと思っていた人間で、本当はできるんだよということを伝えたいと思っています。
障がいを抱えた方はどうしても自分にはできないと自分自身で視野を狭くしがちなんですよね。ある意味仕方がないかもしれませんが、それを私はどうにか変えたくて。
14歳で入院した1年間で、リハビリを一生懸命頑張っても復職できない方をたくさん目にしました。たしかに努力は100%実ることはないと思ってはいますが、70〜80%くらいは実ってもいいんじゃないかなと思います。そのなかに好きなことや仕事をすることがあるべきだと。
私自身が経験し見てきたなかで、障がい者に必要で創りたいと感じたサービスを創っていて、今は障がい者の松川と働きたいと思っている方はいないんですよ。松川と働きたいと思って集まってくださる方がたくさんいて、そういった環境を私の周囲だけではなく、障がいを持ったほかの方の周囲にもつくれるような、選択肢になれるようなサービスで在りたいと思っています。
吾妻さんと創ったAOiもそうですよ。障がいがあるから旅行に行けないと思っている方に行けるかもという選択肢を与える。メディアもそうですよね。
自分はもうダメかもしれないと思ったときに、メディアを見て私のような障がいを持った人間がいたら、同じように生きられるかもしれないという選択肢というか希望を与えられる。
特に就労支援は、支援をすること・就職することといった障がい者雇用で雇用することでの雇用率達成や、障がい者雇用で雇用されることがゴールになっている傾向にあると思っています。
障がい者雇用することによって、雇用率を達成する。雇用されることによってお金を貰える。というのが現状なんですね。
違うでしょ。人生を豊かにするキャリアのために支援するし、働くんでしょと。就労支援はゴールじゃなくて人生の一貫なんです。
一般的な就労支援は就職を目指して2年間頑張っていきましょう。といった感じなんですが、私たちは人生を豊かにするための仕事をしていく。そんな就労支援で在りたいという想いを掲げて活動しています。
THERA-FILを通して伝えたいことはありますか?
自分が観ている世界だけがすべてじゃないと伝えたいです!
私は諦めなければ何でもできると思っています。自分自身ができないと思っていることって、自分自身が決めつけてるだけであって、やっている方、できている方はたくさんいるんですよ。自分が観ている世界がすべてだとは思わないで欲しいと伝えたいです。
なりたいと思ったら、その世界に飛び込んでみればいいし。人生はおもしろくて、私は医療の世界に1年しかいなかったんですが、1年しかいなかった病院に現在コンサルタントとして戻っているんですよね。
辞めたからといって医療から外れるわけではないし、自分の違う世界観や強みが医療とマッチする可能性があるわけなんです。
医療×〇〇で輝けます。
固定概念を壊して、もっと豊かに人生を送りましょう。
私もそれを示していきます。
松川 力也(まつかわ りきや)
14歳で脳内出血を発症し、片麻痺に。その後、言語聴覚士の資格を取得し、
総合病院に勤務。1年で就労支援の企業に転職し、
現在は独立して『株式会社RESTA』を立ち上げ、
障がい者雇用コンサルやオンラインスクールなどを展開している。