セラピスト取材メディア『THERA-FIL』は、平均寿命ではなく健康寿命を延ばすために、病院以外で本当の健康を届けるために活躍しているセラピスト(Therapist)を1つの記事(Film)として取り上げています。
資格取得からこどもセラピー『リィーノこどもセラピー』開設に至るまでにどのようなストーリーがあったのでしょうか。
中西さんのFilmを覗いてみましょう。
目次
中西さんが作業療法士を目指したきっかけを教えてください!
父の交通事故でのリハビリがきっかけでした!
父が小学校5年生のときに交通事故に遭いました。2年間の入院生活を強いられ、病院にお見舞いに度々行っていたんです。
父のリハビリの横で折り紙を折っているおばあちゃんをみて、作業療法士の仕事に興味を持ちました。
大人になっても折り紙が折れる仕事ってあるんだと驚いたことを、非常に印象深く覚えています。
大学の進路を決める際に、子どもと関わることがすごく好きだったので、保育士なども視野に入れていました。しかし作業療法士への憧れがどうしても大きく、そのまま作業療法士の学校に進学しました。
また、私のきょうだいには発達障害がありました。
私たちが子どもの頃は発達障害の認知度が低く、大学時代に発達障害の授業を受けるなかで、作業療法士として関わることを知り、発達障害がより自分ごとになったんです。
次第に発達障害の支援をする道に進みたいと考えるようになりました。
作業療法士の現場について中西さんの感想を聞かせてください!
初めての現場で自分には向いていないと自己嫌悪に陥りました!
作業療法士の資格を取得して初めての現場は、回復期リハビリテーション病院に就職しました。本当に向いていないと自己嫌悪に陥ってしまい、1年で退職してしまったんです。
職場の先輩や上司に励まされ退職を止められたのですが、そのまま仕事を続けていたら作業療法士自体を嫌いになりそうだったので、退職を決意しました。
一度臨床から離れても、資格もあるから医療の世界に戻れると考え、別の業界をみてみようと思っていたんです。
退職後は海外に行ってみたり、別の職業で働いてみたり多くの経験をしました。
1か所でずっと働き続けなくても、いろいろな働き方ができると知れたことは大きかったですね。
そして多くの経験をし、もっと発達障害のお子さまと関わりたいと考えたんです。
中西さんの活動のきっかけについて教えてください!
発達に関して相談できる場所が全くないことをなんとかしたいと思ったからです!
最初の現場を退職後、児童デイで3年間アルバイトをしました。
児童デイに週1回アルバイトにいきながら、兼務で働いていました。子どもの発達支援業務で作業療法士の仕事の募集があり、3年間児童発達支援センターに採用されたんです。
任期満了で児童発達支援センターを辞めるときには、次の職場は決まっていませんでした。
しかし、ご縁で生まれ育った地元から、作業療法士として巡回相談のお仕事のお話が舞い込んできたんです。しかも、有り難いことに地元の隣町からも巡回相談のお仕事依頼がきました。
巡回相談をおこなっているなかで、未就学までは発達の相談や療育を受けられる場所が多いのですが、卒園後に発達支援の相談をできる場所が一気に減ることを知りました。
また、私の地元が大阪のかなり地方のほうだったので、発達に関して相談できる場所が全くなかったんです。
実際に私の両親から、きょうだいのことで病院などに相談に行っても毎回違うことを言われて、結局どうしたら良いか分からなかったという話を聞いたことがあります。
また巡回相談の業務で、相談者から小学校入学後の相談場所がないという話を聞き、何とかしたいと思って起業を考えました。
当時、信頼している方が経営のコンサルタントをおこなっていたこともあり、その方のサポートのもと、『リィーノこどもセラピー』を開設する運びとなったんです。
現在の中西さんの事業について教えてください!
不安がなくなるまで一緒に伴走していく習い事感覚の教室です!
福祉と医療の狭間で発達グレーゾーンと言われるお子さまが、不安がなくなるまで一緒に伴走したいという想いで活動しています。
ホームページには障がいという言葉を一切出さず、同年代とちょっと違うという不安を抱き始めるお子さまが、学習塾と同じ感覚で来てくれるような場所を提供したいんです。
『リィーノこどもセラピー』に来てくれているお子さまは、2歳だった子が小学校4年生になる、中学生だった子が社会人になるなど、長期間で来てくれています。
さまざまな年齢のお子さまが来てくれるので、小さいお子さまが生活でつまずきそうなところを、先回りして事前準備が一緒にできることは非常に大きいと考えています。
1店舗目が場所的にかなり不便であり、発達支援事業もかなり需要があり、一緒に働いてくれるいうスタッフも増えそうだったため、教室の場所を移すことを考えました。
次の店舗は大阪の池田市という兵庫、大阪、京都のどこからでも交通の便が良い場所に構えることにしたんです。
また、お子さまがマンツーマンの個別セラピーでは力を発揮できるけど、少人数のグループワークでは力を発揮できない場合があるので、なんとかしたいと考えていました。
集団セラピーもできるように人の多い場所に開業しようという想いもあり、2店舗目を開設することになったんです。
中西さんの仕事に込められた想いを教えてください!
お子さまが一人で稼げる力をつけてほしいと思っています!
人だけでなく、物であったり、場所だったりとそのお子さま自身がつながってくれたら良いなという想いで『リィーノこどもセラピー』という名前をつけました。
『リィーノこどもセラピー』の活動の一環で、中学生と高校生が当施設のスタッフと縁のある池田市のカフェで実際に働き、リアルな社会を体験できる活動をおこなっています。
発達グレーゾーンのお子さまが就労支援を利用するときには、自身で発達障害を受容しなければならないことが多いんです。
発達障害の受容には時間がかかることが多く、高校生以上になると福祉の支援もなくなり、社会に放り出されて厳しい現実にさらされます。
『リィーノこどもセラピー』のお子さまには、リアルな現場で働くことによって、自分の力でなんとかしていく力をつけたり、困ったときに人に聞ける力をつけたりする練習を積み重ねています。
中西さんの今後の展望について教えてください!
地域のいろいろな職種の方とつながりたいです!
『リィーノこどもセラピー』の活動で、リアルなお仕事体験をおこなっているのですが、もっと多職種でさまざまな現場に連れ出したしたいと考えています。
現在就労体験をおこなっているカフェという狭い範囲だけでなく、さまざまな職種の方とつながったり、発達支援の同業者と接したりして、横のつながりをどんどん大きくしていきたいんです。
コロナも落ち着いてかなり活動しやすくなってきたので、連携をしてくれる職場へ実際に会いに行き、規模を大きくして活動していきたいと考えています。
THERA-FILを通して伝えたいことはありますか?
SNSで検索し、自分で調べることに慣れてほしいです!
私が大学を卒業した当時は、SNSが主流ではありませんでした。今の時代はSNSで検索したら多くの情報を取得できます。
何から始めたら良いか分からないと感じる方が多いと思いますが、自身でSNSやメディアで調べることに慣れてほしいと思っています。
私が『内閣府地域コアリーダー事業日本代表青年』としてフィンランドに行った際に、起業をしている若い方がたくさんいらっしゃいました。
その方々はパソコンを使いこなし、メディアのリテラシーも高かったんです。そのときにネットの利用と年齢は関係ないと感じました。
大学で講義をした際に感じたのは、医療系の学生の方はパソコンを持ち込んでいない印象でした。
もっとパソコンを利用してネットリテラシーを高め、便利なものをどんどん活用してほしいと考えています。
中西 亜弥(なかにし あや)
作業療法士の資格取得後、家族が発達障害であったことより、社会で悩んでいる方々の相談できる場所をつくりたいという想いより、『リィーノこどもセラピー』を開設。地元の巡回相談や横のつながりを生かした就労訓練など、幅広くおこなっている。