セラピスト取材メディア『THERA-FIL』は、平均寿命ではなく健康寿命を延ばすために、病院以外で本当の健康を届けるために活躍しているセラピスト(Therapist)を1つの記事(Film)として取り上げています。
病院勤務の作業療法士から療育支援に至るまでにどのようなストーリーがあったのでしょうか。
松田さんのFilmを覗いてみましょう。
目次
松田さんが作業療法士になろうと思ったきっかけを教えてください!
私の母が子育てに苦労していたことがきっかけです!
私の母はうつ病を患っており、入退院を繰り返すような状態で私を育ててくれました。母自身の体調も良くない状態での子育てだったこともあり、とても苦労していたんです。
そんな母の姿を見ていた経験から、子育て中の方の心を支えることができる仕事に就きたいと思うようになりました。
母のこともあり看護職も考えたんですが、私は血を見ることが苦手だったので、血を見ずに心のサポートができる職種を探していたところ、作業療法士という仕事にたどり着いたんです。
中学生のときから作業療法士になりたいと思っていましたが、両親が病気を患っていたので、経済的な理由で当時は養成校へ進学することが難しかったんです。
そこで短期大学に進学し、一旦就職をしましたが、それでも作業療法士になりたい気持ちは捨てることができませんでした。
そんなときに、今度は私が事故に遭ってしまったんです。1か月間、車椅子での生活を余儀なくされ、その経験から患者さまの支えになる仕事をしたいと改めて思いました。
それから勤めていた職場を辞め、作業療法士の道へと進み始めました。しかし事故の後遺症で身体の調子が悪く、約1年で退学したんです。
退学するときに教授からは「二度と作業療法士を目指すな」と言われましたが、作業療法士になることを諦めきれず再入学しました。
学費を払わないといけなかったので、入学後は夜勤でヘルパーの仕事をしていたんです。
実習以外はずっと働いていたので身体はきつかったですが、ヘルパーとして在宅生活を支援することができたことは、自身の強みになったと思っています。
そんな学生生活を過ごし、なんとか作業療法士の資格を取得することができました。
実際に作業療法士になってみてどうでしたか?
現在の活動に作業療法士としての知識や経験を生かせています!
臨床に出て26年目になりますが、救急、療育、小児、回復期などさまざまな分野を経験しました。
私は、マルチタスクが苦手なのでリハビリ中のルート抜去や患者さまを車いすへ移乗する際に、尿道バルーンを抜いてしまい、看護師の方の手を借りることも...
注意力や集中力が求められる現場での失敗が多々あり、周りのサポートを受けることが多く、周りに助けられているなという感覚が強かったですね。
2023年の3月に病院を退職しました。
現在、小児や子どもに関わっていますが自分もおっちょこちょいで無鉄砲な性格だったので、母の立場になって考えると私は育てにくい子どもだっただろうなと思いますね。
私も母と同じように子どもを育てる側になり、自閉症などを持つ子どもを育てるお母さんの気持ちも分かるようになったと感じています。
また、お母さまが精神障害や知的障害を患っていたり、闘病中で子育てをされている方など、子育てをするうえでいろいろな方が苦労しているんです。
そんな状況のなかで、どんなところに苦しさや大変さを感じているのかを作業療法士になったからこそ理解でき、医療的知識や経験をもとに支援できているのではないかと考えています。
松田さんの具体的な事業内容を教えてください!
親子教室、居場所づくり、児童発達支援、放課後等デイサービスなどさまざまな活動に取り組んでいます!
助産師の方と一緒に親子教室を月に1回おこなっているんです。
ほかにも不登校の子どもの居場所づくりを行う『おやこのとまり木』という活動を月に4〜5回おこなっています。
また事業所の顧問作業療法士として、児童発達支援と放課後等デイサービスの支援者教育などのさまざまな活動に取り組んでいます。
元々私の子どもも支援級に在籍していたことがあり、授業参観や運動会も別日で開催されていたので、ほかの親御さまや地域とつながる機会が少ないと感じていたんです。
障害の有無に関係なく、お互いの成長を確認しあえるような場所をつくりたいという想いから地域の体育館を貸し切って、『おやこのあそびば』という活動を始めました。
ほかにも『おやこのとまり木』というお母さまも子どもも、家庭と学校以外で安心できるように、やってみたいことや知りたいことに合わせた活動ができるような機会をつくっています。
事業所の作業療法士としては、おもに子どものアセスメント評価をおこなっているんです。
学校で困っている子どもや先生、親御さまをどのようにサポートするべきかを話し合うために学校の会議にも参加しています。
実際に学校での子どもの様子を見て交流もしているんですよ。
また、支援者教育の一環としてこれまでの経験を生かし、各施設で働くスタッフに対してオンラインでの現場の困りごとを聞き、解決策を一緒に考えていく活動をしています。
松田さんの今後の活動への想いや展望はありますか?
多くの親子を支援するために活動の幅をさらに広げていきたいです!
今頑張って関わってくれている社会福祉士や看護師、理学療法士のスタッフのなかにも発達段階に課題がある子どもがいる方もいます。
そんなお母さま方もキャリアを諦めず、楽しく仕事を頑張っている姿を子どもたちにも見てもらいたいと思っています。
現在は、さまざまな活動に取り組み、ほかの親御さまと交流するための居場所づくりを提供しています。
今後は親子でできるカフェやWebサイトの作成など子どもたちも含めてみんなで取り組める仕事を増やし、子どもがいるなかでも仕事ができるような環境を提供していきたいです。
また、保育園側から「子どもとの関わり方に困っている親御さまに対して、保育園としてどのようにサポートするべきか分からない」というご相談をいただきました。
頼っていただけることはとても嬉しいんですが、現在は自費で保育園へ伺っているので、サポートを継続する場合経済的な負担が大きかったんです。
自費ではなく訪問事業として、保育所等訪問支援と居宅訪問型児童発達支援という制度を活用して、専門職が活動できる流れが望ましいと考えました。
その場合、福祉の領域として活動もできますし、自費よりも経済的な負担が減り、より多くの親子をサポートすることにつながるはずです。
支援事業で得た収入は居場所づくりや親子ヨガの開催費などにも活用しています。
このような活動を積み重ねていき、少しずつ地域でつながりの幅を広げ、活動の幅をさらに広げていきたいと考えています。
そして、現在私が取り組んでいる活動に参加してる子どもたちが将来大きくなって、親になったときにも、周囲から孤立せずにつながりを築いていけるような事業を続けていきたいです。
THERA-FILを通して伝えたいことはありますか?
好きなこと、やってみたいことにどんどん取り組んでほしいです!
私はとても困窮した環境で育ったので、夢ややってみたいことを口にしてはいけないと、子どもながらに思っていました。
作業療法士になりたいと思っていても、到底無理だと決めつけていたんです。ただ、遠回りはしたもののこうやって作業療法士になることができ活動ができています。
その経験を通して、自分の好きなことややってみたいと思えるものが一つでも見つかったのであれば、まずはやってみることが大事だと学んだんです。
セラピストは、自分のやってみたいことや興味あることをとことん追求できる仕事です。
だからこそ、セラピストとして働いていくなかでやりたいことができたときには、それを追求するべきですしそのような方が増えてほしいと思っています。
やっぱりできない、私には無理だったんだと諦めることは簡単にできます。
私も実習の先生と相性が合わず、一度学校へ引き戻された経験があり、私はやっぱりダメだな、みんなはこういうものができるのに自分はできないんだなと思っていました。
しかし、自分の道は自分でしか歩むことができません。
特にセラピストを目指してる方だったら、今どんなに大変な状況にあったとしてもやりたいことに取り組んでいるその姿をどんどん出してほしいなと思います。
好きだったこと、やりたかったことを思い出して取り組んでほしいです。
それを私は応援したいと思っています。
松田 幸恵(まつだ ゆきえ)
作業療法士の資格取得後、約20年間、小児科、児童精神科、児童発達支援の経験。自身の子育てをきっかけに療育に携わり始め、不登校生を対象とした居場所づくりを行うための市民活動を開始。現在は、親子教室や不登校生の居場所づくり『おやこのとまり木』などを運営。児童発達支援に携わる支援者教育などさまざまな角度から精力的に活動を続けている。